写真 錦織圭さん(左)と山内舞さん
日刊スポーツ
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男子テニスで、元世界4位の錦織圭(30=日清食品)が18日、自身のアプリで元モデルの山内舞さん(29)と11日に都内で婚姻届を提出していたことを発表した。
14年オフに知人の紹介で交際を始め
20年コロナ禍の苦労を乗り越え、約6年
の愛を実らせて結婚に至ったそうです。
錦織さんは現在、右肩のリハビリを行っており、新たな家族とともに、21年に復活を期すと言う事です。
挙式・披露宴とも未定で、山内さんは妊娠はしていないそうです。
もともと東京オリンピック(五輪)が終わったら、2人は結婚を考えていたそうです。
しかし、五輪は延期が決定。
錦織さんも、19年10月に右ひじを手術し、ツアーもなくなり、1年以上、実戦から遠のきました。
その間、2人はともに過ごす時間も多くなり、8月に錦織がコロナに感染した時も、山内さんが献身的に世話をしたという事です。
お互いの気持ちも深まり、このタイミングでの結婚となりました。
関係者によると、錦織さんは
「来季は、新しく家庭もできたので、心機一転、頑張りたい。しっかり準備して挑みたい」
と話しているといいます。
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右肩のリハビリも順調で、当初の1月から2月開幕に延期となった全豪オープン(メルボルン)出場へ心身ともに準備を進めているようです。
知人の紹介で知り合ったが、山内さんは元モデルで芸能界の女性。多くのうわさの中、錦織さんの近い関係者は誰もが心配していたことは事実です。
15年全米。センターコートの練習で、山内さんは真っ赤な服で、錦織の練習を観客席で見守っていました。
2万人以上入る世界最大のテニス専用コートでも、人の数は少なく、その姿は浮いて見えたとの事。
芸能界は目立ってなんぼだが、スポーツ界ではまずは勝敗が最優先です。
15年全米の件は小さなことだが、芸能界とスポーツ界の常識の“ずれ”だといいます。
その“ずれ”のため、2人は矢面に立ちました。
しかし、その度に錦織さんは山内さんを守り、寄り添いました。
錦織の気持ちを、関係者が代弁しました。
「テニスはコート上ですべて自分が決める孤独なスポーツ。時にはテニスとは関係ない世界を感じたい気持ちは分かる」。
昔から錦織さんは、試合に敗れた後は部屋に閉じこもったそうです。
誰とも会わず、怒り、悲しみ、そして悔しさを1人で乗り越え、翌日は何事もなかったように現れました。
孤独でつらい作業です。
ただ、山内さんと交際するようになると、敗退した日でも、2人で外食する姿がよく見られました。
山内さんといることで、2人で悔しさを乗り越え、気持ちが癒やされ、少しだけ孤独から解放されたのかもしれません。
日刊スポーツは婚姻届を出した1日前の10日、錦織さんに恒例の新春用の単独インタビューを行いました。
色紙に来季の抱負を書いてもらうとき、「『復活』はどう?」と聞きました。
しかし、錦織さんが選んだ言葉は
「いや、リスタートでしょ」
そして、それを日本語にした「再出発」と書きました。
錦織は、子どもの時から、良くも悪くもうそがつけないそうです。
「再出発」の文字に、新たな家族との思いを込めていたようです。
引用 日刊スポーツ
錦織圭電撃結婚へ….の動画はこちら
錦織圭(にしこり・けい)プロフィール
1989年(平元)12月29日、島根県松江市生まれ。
5歳でテニスを始め、13歳で米国にテニス留学。
08年2月に日本男子史上2人目のツアー優勝を成し遂げた。
12年全豪で、日本男子80年ぶりの8強入り。
14年全米ではアジア男子シングルス初の4大大会準優勝の快挙を達成した。
15年2月には、当時、男女を通じて、伊達公子と並ぶ日本最高位の世界ランキング4位となった。
16年リオデジャネイロ五輪では、男子シングルスで銅メダルを獲得。
日本テニス界に96年ぶりのメダルをもたらした。
178センチ、74キロ。
山内舞(やまうち・まい)プロフィール
1991年(平3)10月20日、富山県生まれ。
立花舞の芸名で、12年に舞台でデビュー。
その後、ファッションモデルとして神戸コレクションや東京コレクションに出演。
観月あこと改名した後も、地元富山のCMや、雑誌のメインモデルなどを務めたが、すでに引退している。
166センチ。
まとめ
錦織さんは、全豪で男子テニス80年ぶ
りに8強入りの偉業を成し遂げた選手で
すからね。
結婚してパートナーの奥さんの為にも
もっと頑張る錦織さんの姿を見たいです
ね。